ベトナム戦争と平和・歴史の旅
12月25日(4日目) |
奇跡の生還・フーザンホテル! |
凍死することなく目がさめた。早速、朝食バイキングへ。最上階のレストラン。すぐ横をフーン川が流れ、行き来する小船を眺め食事する。景色はばっちり、食い物はさっぱり。なんかよーわからんメニューだし、品数は少ないわ、スクランブルエッグメインに何とか半日は過ごせるエネルギーは確保。 |
南北が分裂した1954年から戦争が終結する1975年まで、北緯17度線付近を流れるベン・ハイ川沿いに軍事境界線が引かれた。DMZはその境界線に沿って、ラオスとの国境まで、幅10km、全長60kmに渡って設けられた非武装地帯。今回訪れたヴィンモックトンネル・ヒエンルーン橋のほか、米軍基地跡・タグロン橋・少数民族の村などを周るコースがある。 |
資料室で17度線の戦いの説明を受ける。 赤い帽子がタムさん。 |
刑務所跡。1939年、フランスによって造られる。 |
城壁の鉄門に残る、銃弾の跡。 | 爆撃にあった学校が当時のまま残る |
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ヴィン・モックトンネル |
ヴィン・モックトンネル 1959年〜72年の激戦地。1万トンの爆弾が落とされた。 1966年4月〜12月まで疎開を拒んだ住民300人が毎日地下道を掘り続けた。総延長3kmにおよび、本当の村のように造られていて、270人(内3割が女性)が内部で生活をした。トンネルの中では、17人の子どもが産まれた。 |
ドン・ハ市内のホテルで昼食をとった後、ヴィンモックトンネルに向かった。途中、一見雪景色と間違えそうな一帯を通過する。実は真っ白い砂地地帯。ベトナムでは雪は降らないが、ただ北部の高い山では降る所もあるそうです。しばらくして国道1号線を外れ農道のような細い道に入る。車一台やっと通れる狭い道でもきちんと舗装はされている。所々に戦争で亡くなった人たちの共同墓地が。田園風景が続き、農作業をする人の姿は途切れない。交通量は田舎とあってまばらで、このあたりまで来ると、ホンダも少なく自転車が重要な交通手段となる。バスは海岸線にでる。延々と続く砂浜。波は高めだが海岸は自然そのものだ。 |
ヴィンモックトンネル・スケッチ
ヴィンモックトンネル案内板 | 事務所で説明を受ける |
トンネル入り口 | 薄情なツアー客にまとわりつくジュース売りの一団 |
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ヒエン・ルーン橋(17度線) |
ヴィンモックトンネルからの帰り、ヒエン・ルーン橋に立ち寄った。ドン・ハの町からは国道1号線を北に22km。ベン・ハイ川にヒエン・ルーン橋は架かっている。この川がちょうど17度線であり、橋は1967年までは国家分断の象徴となっていたが、米軍の爆撃で崩壊。現在のものは1973年に建設された。バスを降りて橋周辺を散歩した。橋のすぐ脇は、小さな公園のようになっており記念碑も立っている。周辺は水田だが道路沿いには民家も点在する。道路わきには水牛が草をかじりながら、午後ののんびりしたひと時を過ごしている。しばらくすると、半裸(振りチン)の男の子が棒を持って、水牛を追う姿が。4、5歳くらいの子だろうか。 |
ヒエン・ルーン橋 国道1号線 |
記念碑 左の橋のすぐ横にある |
水牛を追う少年 なぜか下半身裸の少年 |
水牛と少女 少年のお姉ちゃんだろうか |
銃弾の痕が残る教会 ドンハの街で |
ホテルに戻る。今日もフーザンホテル。何とかお湯が出るように、クンさんお願いをして、フロントに頼んでもらった。無駄だった。もう少しすればホテルが新築されるらしい。それまで、待ってほしいとのこと。外国のホテルっこんなもんなんでしょうか?おやすみなさい!! |
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