ベトナム戦争と平和・歴史の旅

12月25日(4日目)
奇跡の生還・フーザンホテル!

 凍死することなく目がさめた。早速、朝食バイキングへ。最上階のレストラン。すぐ横をフーン川が流れ、行き来する小船を眺め食事する。景色はばっちり、食い物はさっぱり。なんかよーわからんメニューだし、品数は少ないわ、スクランブルエッグメインに何とか半日は過ごせるエネルギーは確保。
 今日は一日DMZエリアツアーです。昨夜走った国道1号線をさらに北上、道路は事情は変わりなし。市街地を抜けると水田地帯が続く。11月頃この中部一帯は洪水ですごかったらしい。未だに田畑は水が引いていないところもあり、湖状態のところも。ただ、毎年のことで、水が引けば復旧も早いらしい。その水田では朝から農作業する人と水牛君の姿があった(農機具なんぞ一つも見なかった)。うーん、やっぱりのんびりしているな。また最近は、アヒルの養殖も盛んで、水田の一角を利用しアヒル君たちが出荷に控え、スタンバイ状態。そう言えば、1日目の夕食はペキンダックだった。
 そうこうしているうちに、バスは古城跡に到着。1802年〜1825年、グエン王朝の最初の王様の時にできた古城。ここは、ベトナム戦争当時の激戦地の一つでもある。ガイドの女性タムさんに案内をしてもらう。タムさんはベトナム戦争でお父さんを亡くしていると話してくれた。 建物自体は残っていないが、北側を鎮圧するために1939年にフランスによって造られたという刑務所が残っている。また、城壁の鉄門には銃弾の痕が今も生々しく残っていた。城内はとても静かであり、整備をする現地の人たちが、手作業で整備の工事を進めていた。近くには爆撃を受けた学校がそのまま残っている。




DMZエリアツアー

 南北が分裂した1954年から戦争が終結する1975年まで、北緯17度線付近を流れるベン・ハイ川沿いに軍事境界線が引かれた。DMZはその境界線に沿って、ラオスとの国境まで、幅10km、全長60kmに渡って設けられた非武装地帯。今回訪れたヴィンモックトンネル・ヒエンルーン橋のほか、米軍基地跡・タグロン橋・少数民族の村などを周るコースがある。

激戦地・スケッチ
資料室で17度線の戦いの説明を受ける。
赤い帽子がタムさん。
刑務所跡。1939年、フランスによって造られる。
城壁の鉄門に残る、銃弾の跡。 爆撃にあった学校が当時のまま残る


ヴィン・モックトンネル
ヴィン・モックトンネル
1959年〜72年の激戦地。1万トンの爆弾が落とされた。
1966年4月〜12月まで疎開を拒んだ住民300人が毎日地下道を掘り続けた。総延長3kmにおよび、本当の村のように造られていて、270人(内3割が女性)が内部で生活をした。トンネルの中では、17人の子どもが産まれた。

 ドン・ハ市内のホテルで昼食をとった後、ヴィンモックトンネルに向かった。途中、一見雪景色と間違えそうな一帯を通過する。実は真っ白い砂地地帯。ベトナムでは雪は降らないが、ただ北部の高い山では降る所もあるそうです。しばらくして国道1号線を外れ農道のような細い道に入る。車一台やっと通れる狭い道でもきちんと舗装はされている。所々に戦争で亡くなった人たちの共同墓地が。田園風景が続き、農作業をする人の姿は途切れない。交通量は田舎とあってまばらで、このあたりまで来ると、ホンダも少なく自転車が重要な交通手段となる。バスは海岸線にでる。延々と続く砂浜。波は高めだが海岸は自然そのものだ。
ヴィンモックトンネルは海岸近くの高台にあった。まずは資料室でトンネルの説明を受ける。このツアーどこに行ってもちゃんとベトナム戦争に関する資料館があり、現地の女性ガイドが説明をしてくれた。パンフレットは有料のところが多く5000ドンで購入。何ヶ所かトンネルへの入り口があり、3番から入り10番から出るという約40mを実際に入ってみた。内部は真っ暗なので懐中電灯を貸してくれた。クチトンネルほどではないが内部は狭く、足元も悪い(いまだに私の靴にはこの時の土がついたまま)。トンネルの通路の両側に一家族が住めるように掘られた部屋がいくつもあった。こんなトンネルで長期にわたり生活をしたなんて想像もつかない。前方が明るくなり出口が見えた。
 トンネルを出るとそこには大勢人だかり。子どもも何人かいる。私たちの方へ近づいてきたとたん、缶ジュースを買ってくれと迫ってきた。一人に一家族がしっかりまとわりつき、しきりに「買ってくれ」と言ってくる。私についてきた子は、マイちゃんという名前の女の子で、7歳だと言っていた。あと母親(たぶん)とお兄ちゃん(たぶん)。結局、バスのところまでついてきたが、誰も何も買わなかった(薄情なツアーの一団)。それでもバスが出発をするときには、手を振り見送ってくれた。今度来たときはきっと買うよ。

ヴィンモックトンネル・スケッチ

ヴィンモックトンネル案内板 事務所で説明を受ける
トンネル入り口 薄情なツアー客にまとわりつくジュース売りの一団


ヒエン・ルーン橋(17度線)

 ヴィンモックトンネルからの帰り、ヒエン・ルーン橋に立ち寄った。ドン・ハの町からは国道1号線を北に22km。ベン・ハイ川にヒエン・ルーン橋は架かっている。この川がちょうど17度線であり、橋は1967年までは国家分断の象徴となっていたが、米軍の爆撃で崩壊。現在のものは1973年に建設された。バスを降りて橋周辺を散歩した。橋のすぐ脇は、小さな公園のようになっており記念碑も立っている。周辺は水田だが道路沿いには民家も点在する。道路わきには水牛が草をかじりながら、午後ののんびりしたひと時を過ごしている。しばらくすると、半裸(振りチン)の男の子が棒を持って、水牛を追う姿が。4、5歳くらいの子だろうか。


ヒエン・ルーン橋・スケッチ
ヒエン・ルーン橋
国道1号線
記念碑
左の橋のすぐ横にある
水牛を追う少年
なぜか下半身裸の少年
水牛と少女
少年のお姉ちゃんだろうか
銃弾の痕が残る教会
ドンハの街で

 ホテルに戻る。今日もフーザンホテル。何とかお湯が出るように、クンさんお願いをして、フロントに頼んでもらった。無駄だった。もう少しすればホテルが新築されるらしい。それまで、待ってほしいとのこと。外国のホテルっこんなもんなんでしょうか?おやすみなさい!!


メニュー 12月22日 12月23日 12月24日 12月25日 12月26日 12月27日