朝鮮民主主義人民共和国の旅
観光コースで行くアジア・北朝鮮編
2000年8月14日(月 )4日目午前の部NEWリニューアルで追加した写真
ドライブイン瑞興茶房
ドライブイン喫茶室
開城市に向かう高速道路2時間のドライブ
8時にホテルを出発。少し時間が掛かると言うことで早めの出発だ。開城市まで160Km、板門店はさらに8Km、約2時間の予定。平壌市内を抜け高速道路に入る。妙香山への道と同じように片側2車線の綺麗に舗装された道路が延びる。郊外に向かうに従い車の数も減り、また、10分・20分に1台の割合でしか対向車が来なくなる。かなりのスピードが出ているが、それでも同じ板門店に向かう大型バスが私たちを追い抜いていく。時折、道路沿いで作業をする人の姿が見られる。また、農作業に向かう人たちだろうか、数人がかたまって道路を歩いている。どこから来たのだろう。周辺には家らしいものはみあたらない。景色にも変化がない。一面のトウモロコシ畑、点在する農家、小高い山々、川そして谷の繰り返しである。畑の真ん中にはスローガンが掲げられていいる。時折、開城市までの標識があるので、どのあたりまで来たかは見当ははつく。
ちょうど9時。1時間走ったところで道路中央に3階建てくらいの大きな建物が見えてきた。ちょうど平壌市と開城市の中間地点にあるドライブインだそうだ。車がほとんど来ないので、道路の真ん中に出て記念撮影をする。3階では喫茶コーナーと売店があった。飲み物は缶ジュース、コーヒー・コーラ・ファンタなど、1缶1ウォン60チョン。売店では、たばこ、お酒、高麗人参のどの商品が列んでいる。中には、力道山のお酒というのもあった。謎の、箱入りお菓子というのもあった。15分ほど休んだ後、開城市に向け再度出発をした。検問があった。出入りの車をきちんとチェックしているらしい。いくつか検問があったが、ドライバーチョンさんのおかげですんなり通過することができた。
10時頃、左手に大きな街が見えてきた。開城市である。板門店まではまだ8Km。車はそのまま進んだ。高速道路
(上のドライブインから撮影)NEW
案内の人民軍兵士と
軍事停戦委員会会議場内部
停戦委員会会議場(板門閣から)
板門閣の写真は韓国側から見て下さい。
ここをクリック板門店に突入1年ぶりの訪問
10時30分、バスは板門店入り口の案内所に着いた。ここでいったんバスを降り、簡単な説明を受ける。大型バス数台、ワゴン車など大勢の人が順番を待っている。大きなビデオカメラを担いだ報道陣も。カメラにはTBSと書かれてあった。報道特集の取材のようである。他にも大型カメラを持った地元の人がいたが、大きな団体に同行して観光を撮影、帰国までに編集をして観光客にそのビデオを売りつける商売をしているそうだ。ちゃっかり稼いでいるらしい。説明を受けた後1列に並んで人数確認、そして再びバスに乗車。この時、人民軍の案内役の軍人が一人乗り込んできた。途中、1965年アメリカとの停戦会談が行われた会議場で途中下車。先ほどの軍人が丁寧に説明をしてくれた。説明の後は一緒に記念撮影。韓国側からの訪問の時は、バスは乗り換えされられる、パスポートのチェックはある、ジーンズのようなラフな服装はダメ、宣誓書は書かされる、ゲストバッチは付けられる、物々しい警備に緊張感が走り、ゆっくり記念撮影もできなかった。それに比べると、幾分緊張感はあるものの、気楽な板門店訪問になった。
再度バスに乗り込み、いよいよ軍事停戦委員会会議場に向かう。室内に入る。1年前と何も変わっていない。ただ違うのは、今回は北側から訪問と言うことで、警備はすべて人民軍の兵士である。中央の机にあるマイクのコードを境に、向こう側が韓国側で、こちら側が北朝鮮側になる。マイクのコードが国境になっている。昨年は、ろう人形のように微動だにしないMPの姿をみて驚いたものだが、人民軍の兵士の姿には逆に親しみのようなものを感じた。会議場を出た後、板門閣に上がり板門店全体を眺める。1年前、中国人らしい観光客が大勢見物していた場所である。その時も、「絶対北朝鮮側には手を振らないで下さい」と注意をうけた。観光客は圧倒的に韓国側からの方が多いであろう。韓国側は売店や喫茶コーナーもあり、お土産品なども販売していた。観光地化された趣のある板門店ツアーであったが、北朝鮮側からは売店等はないものの逆にゆっくり見学をする事ができた。
目の前はもう韓国だNEW
開城市の統一通り
開城・高麗博物館 NEW開城・高麗博物館歴史の街・開城市
12時20分、板門店を後にし開城市に戻った。開城市は朝鮮最初の統一国家である高麗の首都であった。歴史を感じさせられる街である。高速道路を降りるとすぐに統一通りにでる。広い道幅、正面の小高い丘が子男山で金日成主席の大きな銅像が建っているのがわかる。バスは市内の奥の方まで進み、高麗博物館前で止まった。高麗博物館は1987年に開館。12棟の基本建物と6棟の付属建物、高麗時代の石塔と石碑を移して建てた周辺の敷地からなっている。約1千点もの文化財が展示されている。ここでもまた、チマチョゴリの女性に案内をしてもらった。売店では高麗人参の産地らしく、人参茶・人参酒などのお土産を販売していた。
統一館で昼食
飯床器(バンサンギ)で朝鮮料理をいただく
12時55分、統一通りのある「統一館」という食堂で少し遅めの昼食をとる。飯床器という10皿前後の小さな食器におかずが入り、ご飯とスープとともにいただく朝鮮式の料理である。当初は人民軍の軍人食を食べる予定だったそうだが、添乗員の高さんが「朝鮮らしい食事を」と頑張って変更してもらったそうだ。他の人たちはさらに事前に注文した「サムゲタン」という朝鮮料理も食べていた(昨年、韓国で食べたので注文しなかった)。飯床器(バンサンギ)の準備 NEW
2000年8月14日(月 )4日目午後の部
平壌サーカス・フィナーレ平壌・サーカス劇場空中ブランコの妙技
午後は朝来た道を引き返し平壌市に戻る。16時40分、道幅100mはある光復通りにある平壌サーカス劇場に到着。1989年に開館した3500人収容の劇場である。外国人の観光客だけでなく、平壌市民、人民軍の若い兵士たちも団体で観覧に来ている。場内は満席に近い状態。中央に円形のプール、その後ろにステージ。観客席の上段には生演奏の楽団が控えている。最初は、シンクロナイドをアレンジした水中での演技、小ネタをはさんでブランコとシーソーのアクロバット、自転車を自由に乗りこなす演技などが続く。ステージのショーに夢中なっている間に、プールの水がいつの間にかなくなり、円形のステージに早変わりした。最後はメインの空中ブランコの演技。さすが間近で見ると迫力はあった。
プールが消えて、上のステージになるNEW 地下鉄の入り口 マスゲーム練習(金日成広場) 平壌市内NEW
夕日に映えるチュチェ思想塔大同江・船上バーベキュー
夕日に映える平壌市内
平壌最後の夜は、市内を流れる大同江で船上バーベキューです。乗船場所の金日成広場に行くと、朝からずっとやっていたのでしょうかマスゲームの練習が今も続けられています。他のお客さんはすでに船に乗り込みバーベキューを始めています。追い立てながら私たちも船に乗り込みました。バーベキューと言っても朝鮮風の焼き肉プルコギで、肉は牛肉とアヒルの肉だそうです。ビールで乾杯。そうこうしているうちに、出航。夕日に染まる平壌の風景はまた一段と輝いていました。宿泊先の羊角島ホテル近くまで約1時間のクルージングでした。20時に下船。あたりはもう真っ暗。マスゲームの練習を終えた子ども達が列をなし、歌を歌いながら帰っていく姿がありました。BBQのクルーズ船 NEW 何の肉か???
HOME | 8月11日 | 8月12日 | 8月13日 | 8月14日 | 8月15日 | INDEX |