The Oinawa Travelogues

沖縄スタディーツアー

観光コースにないアジア・沖縄編    

12月25日(2日目)


1947年、チビチリガマ「集団自決」者の遺族は、まだまだ生々しい惨状を残すガマに入り、頭蓋骨だけを収集」、ガマの入り口に積み上げて焼いた。このガマには、読谷村の波平地区の住民約140人が避難していた。その内、83名が「集団死」している。約6割は子ども達であった。
平和記念碑
平和への祈りと、チビチリガマの犠牲者の名前が
刻まれている。
ガマの中へは現在は入れない。
チビチリガマ



糸数壕・南風原陸軍病院糸数分室
沖縄本島南部、玉城村糸数にある全長270mの糸数壕(アブチラガマ)。1944年、アブチラガマは南風原陸軍病院の糸数分室として使われることになり、たちまちガマは600人余りの負傷兵でいっぱいになった。
ガマの入り口。とても急で、人ひとりがやっと入れる程度の入り口。当然中は真っ暗。足元に注意しながら奥へと進む。
持参してきた懐中電灯を片手にさらに奥へと進む。
一番奥まで進んだところで、
ガイドさん「みなさん、一斉に明かりを消してみ
ましょう」
・・・・・。
アブチラガマ


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