軍事境界線・板門店ツアー


大韓民国から訪れる板門店です

1999年8月19日

おおよその行程
@ロッテホテル集合・・相乗りの大型バスで板門店に向かう。ガイドから非常に詳しく
歴史の説明あり。
Aパスポート検査・・・到着直前にUN軍兵士がバスに乗り込みパスポートの検査。
Bキャンプ・ボニファス到着・・・板門店に入る教育を受け、宣誓書にサイン、ゲストバッチ
を胸に付ける。ジーンズ・サンダルなどは履き替えさせられる。
C会議場へ・・・専用バスに乗り換えて、軍事停戦委員会会議場へ移動。
D会議場内へ・・・1〜2列になって会議場内へ移動。ガイドから説明を受ける。その後、
写真撮影。5分ぐらい。
E自由の家へ・・・板門店が一望できる自由の家へ
Fキャンプ・ボニファスへ・・・UN軍の食堂で昼食。出発までお土産などの買い物。 

緊張感伝わる板門店ツアー

 きょうはロッテホテルに集合し、板門店ツアーに。私たちの他に出雲市から着たという中学生の団体が一緒だ。引率の2人の先生ご苦労様!約1時間半ほどのバスでの移動だが、ガイドの高さんに、これでもかというぐらい朝鮮半島の歴史についての説明を受ける。中学生には難しかったか!?
 自由の橋を見て、バスは板門店へ。途中、バスの中では乗り込んできた軍人にパスポートの検査(ちょっと緊張)。国連軍のプリピリングルームで板門店に入るための教育を受け、宣言書(何があっても安全の保障はない)にサイン、ゲストバッチをつける。このあと別のバスに乗り換えて板門店会談場に(緊張)。北側の建物にもめずらしく訪問客がきているらしく、大勢がこちらを見ている。ただし、決して相手方に手を振ったりはできない。会談場内部にいられたのは約5分ぐらい。警備兵がろう人形のように立ったまま私たちを、警備?監視?している(かなり緊張)。
板門店から北朝鮮が見える
 写真中央右が「帰らざる橋」。6.25事変が停戦になるにおよんで、両側の捕虜がこの橋を渡って送還された。共同警備区域内で相手方地域内への出入りが自由であった頃、北朝鮮の警備兵が一番先に渡るのがこの橋だった。橋のすぐそばには、「おの殺害事件」の発端になったポプラの切り株が残っていた。橋の向こうは北朝鮮。中央左には、何かのスローガンのハングル文字と宣伝村が見える。この村には実際に住んでいる村人はいない?と、言われている。「毎日、国旗を揚げ下げしたり、施設を見回る20人程度がいると言われている」とガイドの説明。今度は、北側から板門店を訪れてみたい。→1年後実現しました。

キャンプ・ボニファス
共同警備区域の駐屯基地。6.25事変(韓国動乱)参戦16ヶ国の国旗掲揚台。



自由の家
ここに上がれば、あらゆる角度から板門店全景を見渡すことができる。3枚下の写真がそうです。



おの殺害事件
1976年に起こった、おの殺害事件の連続写真が展示されている。



宣伝村国旗掲揚台
北朝鮮の宣伝村といわれている村にある国旗掲揚台。同じような掲揚台は韓国側にもある。



北朝鮮・板門閣の建物
自由の家から見た北朝鮮の板門閣。中国人らしいの観光客が見学をしていた。青い建物が軍事停戦委員会会議場。
板門閣からこちらを見ると。



軍事停戦委員会会議場
韓国側から訪問すると、監視はUN軍の兵士がつく。



訪問者(見学者)宣誓書
何が起こっても自分の責任である宣誓書を書かされる。北朝鮮側からの場合にはない。


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