軍事境界線・板門店ツアー
朝鮮民主主義人民共和国から訪れる板門店です
2000年8月14日
おおよその行程 | |
@ホテル出発・・・それぞれのツアーの車、マイクロバス、大型バスで開城に向け出発 A案内所到着・・・簡単な板門店の説明を受ける。 B停戦会談場へ・・・案内の人民軍兵士が乗り込む。移動はそれぞれのバスだが、他のツアー客と一団となる。 C会談場内へ・・・停戦会談場と停戦協定調印場の2つの見学。説明あり。 D軍事停戦委員会会議場へ・・・再びバスで移動。4〜5列になり、会議場内へ入る。説明を受けた後、記念撮影。10分ぐらい。 E板門閣屋上へ・・・板門店が一望できる板門閣の屋上へ上がる。記念撮影。 |
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1年ぶりの板門店 10時30分、バスは板門店入り口の案内所に着いた。ここでいったんバスを降り、簡単な説明を受ける。大型バス数台、ワゴン車など大勢の人が順番を待っている。大きなビデオカメラを担いだ報道陣も。カメラにはTBSと書かれてあった。報道特集の取材のようである。他にも大型カメラを持った地元の人がいたが、大きな団体に同行して観光を撮影、帰国までに編集をして観光客にそのビデオを売りつける商売をしているそうだ。ちゃっかり稼いでいるらしい。 板門店への入り口 この案内所で説明を受け非武装地帯に入る。 テレビカメラを持った報道陣の姿も見える。 案内所内部 模型を使って板門店の建物の説明を受ける。 |
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人民軍兵士と記念撮影 説明を受けた後1列に並んで人数確認、そして再びバスに乗車。この時、人民軍の案内役の軍人が一人乗り込んできた。途中、1965年アメリカとの停戦会談が行われた会議場で途中下車。先ほどの軍人が丁寧に説明をしてくれた。説明の後は一緒に記念撮影。韓国側からの訪問の時は、バスは乗り換えされられる、パスポートのチェックはある、ジーンズのようなラフな服装はダメ、宣誓書は書かされる、ゲストバッチは付けられる、物々しい警備に緊張感が走り、ゆっくり記念撮影もできなかった。それに比べると、幾分緊張感はあるものの、気楽な板門店訪問になった。 停戦会談会議場 1951年〜0953年の3年間、アメリカとの停戦会議が行われた会議場。 記念撮影 案内役の人民軍兵士と記念撮影 |
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停戦委員会会議場へ 再度バスに乗り込み、いよいよ軍事停戦委員会会議場に向かう。室内に入る。1年前と何も変わっていない。ただ違うのは、今回は北側から訪問と言うことで、警備はすべて人民軍の兵士である。中央の机にあるマイクのコードを境に、向こう側が韓国側で、こちら側が北朝鮮側になる。マイクのコードが国境になっている。昨年は、ろう人形のように微動だにしないMPの姿をみて驚いたものだが、人民軍の兵士の姿には逆に親しみのようなものを感じた。 軍事停戦委員会会議場(その1) 説明を受けた後、ツアー参加者は記念撮影。 軍事停戦委員会会議場(その2) 北朝鮮から訪問すると、警備は人民軍兵士になる。 軍事停戦委員会会議場(その3) マイクのコードが軍事境界線。 向こうが北朝鮮。こちらが韓国。 |
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目の前は韓国 会議場を出た後、板門閣に上がり板門店全体を眺める。1年前、中国人らしい観光客が大勢見物していた場所である。その時も、「絶対北朝鮮側には手を振らないで下さい」と注意をうけた。観光客は圧倒的に韓国側からの方が多いであろう。韓国側は売店や喫茶コーナーもあり、お土産品なども販売していた。観光地化された趣のある板門店ツアーであったが、北朝鮮側からは売店等はないものの逆にゆっくり見学をする事ができた。 ← この建物から見ると 軍事停戦委員会会議場(その4) 中央の青い建物に入ることができる。 後ろは韓国側の建物。 軍事停戦委員会会議場(その5) 北側からのゲストに控え、警備が人民軍兵士に交代する ソウルまで70Km 北朝鮮側にあるソウルまで70Kmの標識。 鉄道で結ばれる日も近い |